2017/12/24

ヒーリングは、魔法の治療法?

みなさん、こんにちは!

今日はクリスマスイヴ。
最近では、クリスマスだからといって特別なことはしない人たちが多いそうですが、私の場合ではしないわけではなく、したいけど、・・・。という感じの状況でしょうか。
ま、いいでしょう!





さて、この数年、私自身としては、「ヒーリング」ということから少し距離を置いていて、エネルギーリーディングの方をメインにしていたんですよね。
というのもの、自分に治したい体の症状があったときに、ヒーリングによってあまり効果が出ていないような気がして、ヒーリングってどうなんだろうという疑問が生じたのがきっかけだったんですよね。
でも、結果的には、ヒーリングを自分でしたり、誰かにしてもらってたおかげと思われるさまざまな恩恵があったのも事実で、ヒーリング=似非 とはいえないのかなぁ、などという感覚もありました。
ヒーリングを全く信じていないというわけでもないけれど、「以前」のようには思えなくなっていました。

ということで、自分の中で納得できる答えがなかったので、そういう状態ではヒーリングしない方がよかろうと思い、誰かにヒーリングすることはあまりしませんでした。
自分にはしていましたけど(笑)

「以前」、私はヒーリングをどう思っていたか、というと、
やっぱり心のどこかで、「魔法の治療法」と思っていた節があったのだなぁ
と今では思います。

ウィリアム・レーネンが以下のように言っていました(「宇宙のエネルギーを呼び込む幸運数ブック」)

多くの人はヒーリングとは、医療あるいは代替医療を用いて、肉体的・精神的な状況を改善することだと思っていますが、癒しとは、目に見える改善以上に大きいものなのです。
病気やケガ、困難は”悪い”ことではなく、その人のたましいが必要としているから経験することです。人生に起きる出来事はどんなものであれ、必要だから起きて来るのであり、経験するのです。

私も、「そうだなぁ」と同意でしたが、とはいえ、自分の肉体的症状がなかなか好転しなかったとき、率直に言って「ヒーリングって役に立たない」と思ってしまいました。
ということは、上記のようなヒーリングに関する考えについて、
「そうは思っていたけど、実感はできていなかった」、ということだと思います。

ですが、自分の体験を通じて、ヒーリングとは、単に「病気を治す」とか「○○を良くする」というようなことではないなぁ、と思えるようになってきました。

自分に出ていた肉体的症状を好転、というか消し去ろうとしていたとき、
ヒーリングもまじめにやりましたし、
それ以外のリフレクソロジーやらキネシオロジーも試したり、
フラワーエッセンスもやって・・・と、
ありとあらゆることをやりましたが、
自分が「思い描いていた」ように、好転はしませんでした。

しかし、とあるヒーリングを受けたあとに、おまけでついてくるオラクルカードリーディングで出たメッセージを見て、何だが合点がいったんです。
そのメッセージは「受容」でした。
今の状況を受け入れてください、というメッセージ。

そのメッセージを見て、
「この病気は、経験をすることに意味がある」という、
既に自分のどこかで感じていたけど見てみぬふりしていたことが、
バッチリハッキリわかるように言われてしまったようで、
なんだか受け入れざるを得ませんでした。

そのときに、うっすら、先ほどのレーネンの言葉を実感しはじめていました。
が、まだまだ頑固で完全に受け入れるまでには至っていませんでしたけれど(笑)

あれから約2年。
その後もいろいろ経験し、最近ようやく「ヒーリング」についての考えを変えられるようになってきました。




私の考えでは、ヒーリングとは「変化を促進すること」。
実はこれは、ヒーリングを習った頃から私自身がずっと言っていたこと。
でもその頃は「変化を促進して、治すこと・好転させること」という感じだったんですよね。

今は「変化を促進すること」、
ただそれだけであることが段々受け入れられるようになってきました。

その結果として、何かが好転することもある、だけ。

「もののけ姫」にでてくる、シシ神様みたいなもので、
生きるかもしれないし、死ぬかもしれないけど、
物事がすーっと進む手助けとなる、というイメージです。

日常生活的な視点で見れば、
魔法のようにスッと良くなる、治る、軽くなるといった、
困難の解決がヒーリングに期待されていることが多いですが、
エネルギー的な視点でいえば、
苦楽はエネルギーのバイブレーションの違いのようなものでしかなく、
どちらが良い・悪いといった区別はないわけですね。

ですから、単にそれを通過して、次のエネルギー状態に変化することが、
エネルギー世界での目的というか道筋であると考えられます。

自分や誰かや何かを含む大きなエネルギー体としては、
その一部である自分に今起こっている変化は、
エネルギー全体を次の形へ進めるために必要不可欠で逃れられないものであるのかもしれません。
私たちは、エゴが強い生き物ですから、これがなかなか受け入れられないのでしょう!

とはいえ、一昼夜にしてはなかなか受け入れがたい考えかもしれませんが、
こうした視点も持ってみると、
普段の考えではどうにも経ち行かないとき、
心が休まる一つの拠り所となるかもしれません。

ではまた次回!

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