2016/04/20

全てはすでに今ここにある

以前、幼い頃から霊体が見える、という人に話を聞いたことがあります。その方は、肉体を持たない存在が見えたり、話しかけてきたりして困っていたみたいなのですが、一方でそうした霊体から普通だったら知り得ない情報を教えてもらうこともあったりして、お得感もあったみたいでした。

その方から「ワンネスはもう終っている」という話をされたことがあります。どういうことかというと、ワンネス自体はもう済んだ話というか、すでに完了していて、私たちはその完了への道筋をただ進んでいるだけだから未来も何もない、みたいな内容でした。少々うろ覚えですが。
その話をされたときに、一瞬それなら何をやっても無駄じゃん、という無力感を感じましたが、単に解釈の問題で霊体が言いたかったことは本当にそういうことなんだろうか、とちょっと考えてみました。
霊的存在においては、時間を超越していると思われますので、「未来はない」のは当たり前で、同時に過去もなく、全部今であり今じゃないみたいな、ただ「在る」状態と考えられます。ですから、「過去、現在、未来も含めて、起こりうるものはすべて今存在している」、と解釈すれば、無力感を感じるよりも、「おっしゃるとおりかもしれない」と納得感が生まれました。・・・私って前向きなんでしょうか!?

起こりうるものは全て今存在していて、それはつながりあっているとすれば、未来から逆算して「今」がある(前回のコラムのお話)ように見えるのもわかるような気がします。また反対に、「今」は過去の出来事からもピッチリつながっているということにもなります。過去の出来事から未来が出来上がってくるのは理解しやすいと思いますが、現在から過去を振り返ることで、過去の出来事の意味がより深く理解できることもあると思います。
では、過去と未来の真ん中にある「現在」とは何なのでしょうか。
これまでの考え方からすると、現在というのは過去と未来にがんじがらめになった変わり様のないものに思えませんか。

一つ例をあげて考えてみましょう。
私は最近海外ドラマをよく見るのですが、日本の一般的なドラマと異なり、人気のある海外ドラマはシーズン●●というようにどんどん続いていきます。1年に1シーズンぐらいなのでしょうか。スパンはわかりませんが、有名なCSI:科学捜査班などはもうシーズン15まであります。
よく見るといっても、私はテレビで放送されているのも見るぐらいですので、必ずしもシーズン1から見るわけではなく、シーズン15から見て、その後シーズン8を見る、なんていうこともあります。
最新シーズンを先に見て、その後にシーズン1から見たりすると、まるで、未来を知っていて過去を見ているハイアーセルフのような気分になります。
たとえば、シーズンの終わりに絶対絶命で死んだか!?となったとしても、「この人、先のシーズンで活躍してたから死なないな」などと安心して見ていられるわけです。付き合っていた二人が別れたとしても、「先のシーズンでは結婚していたから、今別れても大丈夫。むしろ、こういう別れが経験として必要だったんだな」「アレ?そろそろあの人が出てくるはずだけど…あ、そこで偶然的に出会うわけね」などと考えたりします。良くできているドラマでは、きちんと過去の出来事を踏まえて新しいストーリーが作られていますので、先のシーズンから見ても最初の方のシーズンで矛盾していることがなく見ていられます。

と、このように、普通の進行では、過去のひとつひとつのエピソードから今の話が作られるわけですが、未来から遡るとがなぜその出来事があったのか過去の出来事の深みが増し、どのシーンも重要であり外すことはできないと感じます。未来も過去も今既に出そろっていて、すべてがジグソーパズルのごとく、きっちり出来上がっているのです。

こう考えると、現在とは自由があるようでない、過去からも未来からもがんじがらめになった、きっちりと織られた一つの織り目のようなもので、不変な存在だとも感じます。さらに、この「過去」というのは、今生のもの以外の過去世も含めた全部であるし、未来も今生を超えたずっと先の未来も含んでいます。なんと果てしないのでしょう。

だから、この世界に生きる私たちのような分際は、何も心配せず、ただ自由にのびのびと思うがままに生きれば、それが正解! と思えませんかねぇ。(笑)
自分では間違いと思うことも宇宙からみたら正解なんですよ。きっと。